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もうかれこれ10年ぐらいは経つのだが、いまだに昔飼っていたペットのことを一人の時間にふと思い出す。
一度思い出して心の隙間に気がついてしまったら、もうだめで、しばらくそのままに任せて感傷にふける。
手触り、肌触り、におい、重さ、暖かさ、なんとなく今でも思い出せる気がする。
学校に通っていたあの当時、家に帰った私を迎えたのはその彼が死んだという親の言葉だった。
いつのまにとか、どこでとか、親にしつこくせがむ、そういうのは無かったように思う。
かわいげが無いと思うが、ペットが死んだのは私にとって全く初めてではなく、
彼のその前、更にその前の世代の死を以って童心ながら別れの必然とその処理の仕方を体得していたようであった。
この頃姿を消すことが多いなあと感じていたから、どことなく予感をしていたのもあったろう。
何気ない日々の一部に何気ない出来事として受け入れられて、何気ない私は何気なく生きてきた。
だけど、すごく今更なんだけど、最近思う。
どんなに何気なくしたって、気にしない振りしたって、どこかで心残りがあったんだ。
どことも知れない喪失感も、寂しさも、いろいろ原因はあるけれど、確実にその一端を彼が担ってた。
頬につけられた引っかき傷を、今もたまに指でなぞってしまう。
なぜか再生力の高い子供の頃の傷なのに、その傷だけはいままで残ってしまった。
もうその傷、一生ものね。 母親が笑って言う。 私も笑って冗談で答える。
本当にあいつは、余計なものしか残していかなかったね。
ねこが死ぬと、人の心にねこ型の穴を開けるという。 その穴は、またねこを飼うことでしか埋められないという。
あれはコピペでもなく、改変でもなく、ただただそのとおりだと思う。
投稿者 gt7u9x | 返信 (0) | トラックバック (0)