世界の分け方 |
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生きているか、生きていないか
人間か、人間じゃないか
植物か、動物か
男か、女か
生き物か、無生物か
単細胞生物か、多細胞生物か
昔か、これからか
ネガティヴか、ポジティヴか
丸いか、四角いか
きれいか、きたないか
おいしいか、おいしくないか
うれしいか、悲しいか
楽しいか、楽しくないか
正しいか、正しくないか
硬いか、柔らかいか
まだまだいっぱい、数えれば数えるだけある。
みんなおんなじように何かと何かを差別化するということなのに
人はいけない差別と別にいい区別があるという。
その違いを人に理解させるものはなんだろう。
それは人間の脳のどこからきているんだろう。
人間にとって楽しいと感じるということは、つまりどんな意味を持つことなんだろう。
クオリアを人がいつか理解することはできるのだろうか。
それは雲と空の境界がどこなのかを聞いているのと同じような、
人によって全く異なった答えが出るタイプの問いではなかろうか。
視覚も聴覚も触角も嗅覚も味覚も信用ならない。
「数字を入れればあるルールに従って計算結果を返してくれる箱」ライクに
僕もまた何かの装置でしかないのかもしれない。
今見えているもの、触っているもの、匂っているもの、聞いているもの、食べているもの、
全て何かを与えられて、それに応じて半自動的に認められた計算結果なのかもしれない。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
もし見るというのなら、そういう意味ではとても興味深いといだと思った。
人もまた、生きた羊の夢を見るアンドロイドなのかもしれない。
あの人が何かを見てきれいな赤だねと言った時、
必ずしも僕はその人と同じ色で赤を見ているとは限らない。
たとえば僕が赤を生まれて来てからずっと他の人がいう「青」で感じてきていたとしても
色の感じは共有できないから、二人になんのすれ違いも生まれない。
って、
中・高学生のころ、考えなかったかな。
俺はいつも不思議でした。
何で目の網膜で受け取り、視神経を通じて脳に送られた電気的な信号が
今目の前に移っている空間的な視覚情報にまた戻っているんだろうかって。
ヒトの脳はこんなにも小さいのに
どうして脳よりも大きな外の空間をその中に感じることができるんだろうかって。
それと、ネコってかわいいよね。
小さいころ家族でかっていたんだけど、
いつかまた飼ってみたいな。
――ネコは何の夢を見るんだろうか。
投稿者 gt7u9x | 返信 (1) | トラックバック (0)